アフロマンスのレジデントDJ「最後の泡パ」が6/2(土)に迫ってきました。
2012年7月から約6年間やってきて、色んなことがありました。
「泡パ」は、僕にとって一つのイベントというには、あまりに影響が大きかった。
仲間を失った。
お金も無くなった。
仕事も辞めた。
・・・
いつもより、少し長くなるけど「泡パーティーで、人生変わった話」を書こうかと思います。
泡パーティーのはじまりの話
「なんで泡パーティーをやろうと思ったのか?」
そう聞かれることが多い。
でも、正直「たまたま」というのが一番近い。
当時、学生の頃からDJやクラブイベントを5年ほどやってきて、普通のイベントに飽きがきていた。
“クラブを借りて、夜22時くらいにオープンして、DJが1時間ごとに交代して、朝5時まで音楽をかけて、お酒を飲んで、踊って楽しむ”
いわゆるクラブイベント。もちろん、それはそれで楽しい。
ただ「もっとやりようがあるのでは?」という気がしてしょうがなかった。
だから、クラブじゃないところ、屋上や、ビーチ、河原など、色んなところでパーティーをやりだした。そのうち、”全員白衣で廃病院をテーマにしたホラーDJパーティー”なんて、企画的な要素も増えだした。
そんな時だ。
今でも覚えているけど、2012年の春、代々木公園でお花見をしている時に「地中海のイビサ島でやっている泡パーティーって知ってる?」という話になった。
写真や映像を見て、衝撃的だった。
すぐやろうと思った。
もちろん、やるまでの苦労も多かった。
まずは、お金がかかった。
僕は普通に会社員で、1回のイベントの予算も10〜20万円くらいだったと思う。そんな中、泡の機材の手配も含めて、何倍も前払いが必要な内容だった。自分の貯金で払ったけど、ほとんど無くなった。
また、想像できるリスクが多かった。
「クラブの機材が壊れたらどうするの?」
「お客さんが転んだらどうするの?」
いくらでもあげられた。
だから、泡パーティーに限っては、誰もリスクをシェアしてくれなかった。
「あ、人ってこういう時、本当にリスク取らないものなんだな」と、冷静になったのを覚えている。
だから、一人で責任を取ることにした。
今思えば無鉄砲だし、それでよかったと思う。
そして、開催発表したら大反響だった。
Facebookの個人アカウントで投稿したら、瞬く間にシェアされて2万いいねくらいいった。
生まれて初めて「話題になる」という体験をした。
Facebookのイベントページも、あっという間に参加予定が数千人に達した。
会場のキャパシティが300名程度だったので、慌てて応募抽選式にした。徹夜仕事から帰って、朝方に自分の家で抽選して、当選の連絡を粛々と送ったりした。バタバタだった。
そして当日は、うまくいくかどうかの不安でいっぱいだった。
皆の期待がすごい。その期待に応えられるのか?
・・・
結果、色んな運も重なって、なんとかうまくいったと思う。もちろん課題もたくさんあったけど。
「成功している人は、たまたまそこにいただけ」
最近、そんな言葉を目にしたけど、あながち間違ってないと思う。
だからこそ、たくさん色んなことにチャレンジして、「たまたまそこにいる」チャンスを増やすべきだと、今は思う。
仲間がいなくなった話
いい意味でも、悪い意味でも、泡パーティーをきっかけに環境は変わってしまった。
一番は、人との関係だ。
それまで、趣味の延長線上でやっていた「楽しいイベント企画」と比べると、収益の桁が変わってしまった。また、泡パーティーを開催した時に、唯一自分がリスクを背負って開催したという自負もあった。
そして、仲のよかったオーガナイズチームのメンバーとも、すれ違いが生まれるようになった。
最終的に「最近CDJを買ってたけど、あれはイベントの売上で買ったんじゃないか?」と言われた時は、涙が止まらなかった。
そんな訳ないじゃないか。
なんでこんなことになってしまったのかと。
・・・
そして、掛け違えたボタンは直ることなく、チームは解散した。
今思えば、僕はズルかったと思う。
お金は均等に分配したけど、結局、見えないものをたくさんもらった。
泡パーティーは結局アフロがやり続けている。
最初のメンバーは一人もいない。
他にも、今も続いているBBQイベント。
1年で一番楽しみにしているパーティーだけど、元々はそのメンバーで企画したものだ。
そういうことが、表からは見えないところにたくさんある。
お金もなくなった話
泡パーティーを通して「話題をつくれば、お金も人も集まる」というマインドが生まれたような気がする。
“世の中に、面白いイベントはたくさんあるけど、皆が知る機会がないんだ。だから、面白い企画をつくって、話題をつくれば、自然と人気になる!”
と思っていた。
今は正直、そうは思わないけど。
とにかく、新しい企画に挑戦することに躊躇しなくなった。
何回か都内のクラブで泡パーティーを開催し、数字的には毎回成功していた。さらに、初回の泡パーティーに抽選で外れた人が3000人もいる状況だった。
もっと大きいパーティーができる!
野外フェスだ!
一回もやったことがないのに、そう思った。
今思うと、本当に素人だった。
フェスって何からやればいいのか?
いくらくらいかかるのか?
全然わかっていなかった。
色んな業者に電話して、ステージの値段、テントを借りる値段、仮設トイレを借りる値段・・・あっという間に数百万円が積み上がっていった。
正直、いつもの泡パーティーでかけている値段の10倍くらいになって、青ざめた。野外の、何もない場所でイベントを開催すると、こんなにお金がかかるのかと。
少しでも安くしようと、とにかく削った。
結果的にできたものは、プライベートイベントに毛が生えた程度のクオリティだったと思う。
それをフェスと大々的にうたっていた。
でも、悪気はないのだ。
全力だった。
なんとか、素人なりに形にした。
話題になっていたこともあり、メディアの取材も結構きて、TVでも特集が組まれた。
けど・・・
台風が直撃した。
大赤字だった。
今となっては「興行中止保険」などの、いわゆる「イベント保険」に入っておけば大まかにカバーできるものだけど、それも当時は知らなかった。
それまで泡パーティーで稼いだお金は全て吹っ飛び、逆に数百万円の赤字、というか、個人なので、自分の貯金が無くなった。借金だ。
でも、懲りなかった。
「次は絶対にうまくやる」と思った。
もう病気だ。
そして、その時、新しい仲間が一緒に負担を背負ってくれた。
そこには、本当に感謝しかない。
それからの話
ちなみに、ここまでの話は、泡パーティーを始めてから、わずか3ヶ月以内に起こったことです(笑)
そして、その後も、色んなことがありました。
元々、開催していたクラブが潰れてしまい、慌てて箱を探し、当時の仲間を経由して、渋谷のclubasiaを紹介してもらった。そこから現在に至るまで、毎年レギュラーで開催を続けさせてもらっている。
地方でも開催するようになった。
最初の地方開催は石川県の内灘ビーチでした。それも、東京での仲間が仕事の転勤で金沢に移り住み、彼からの提案でやったイベント。
瞬く間に人が増え、数千人集まるようなイベントを毎年開催していました。
フェスのリベンジも、1年越しの2014年に果たした。
パリピなんて言葉が出てくる前。
その時も手作り感満載のフェスだったけど、死ぬほど楽しかったのを覚えている。
自己満もあるけど、本当に楽しかった。
そして、企業とのコラボレーションも増えてきた。
車メーカーの広告キャンペーンや、化粧品のテレビCM、国民的アイドルのミュージックビデオなんてのもあった。
もう、何が本業なのかわからない状況だった。
中には、話題になりすぎて、会社の上層部に呼ばれて注意を受けたりもした。だんだんと、会社にいる意味もわからなくなってきた。
よく「どうやって独立したんですか?」と聞かれるけど、正直、独立する気なんて、全然なかった。
でも、色んな事象が「お前辞めたほうがいいよ」と言ってるようだった。
そして、辞めることが決まった時も、同僚の反応は「だろうな」という感じだった。
2015年6月、会社を辞めた。
泡パを始めて、ちょうど3年後くらいのことでした。
アフロマンスって言えば?
僕のことを人に紹介するとき「泡パをやっている人です」と言う人が8割くらいだ。
アフロマンス=泡パの人。
それがずっと嫌だった。
もともと、面白いことを仕掛けるのが好きで、その一例が泡パなんだ、と言いたかった。だから、泡パじゃない企画も散々やった。
でも、今になってみると、「アフロマンス=泡パの人」なんて、こんなにありがたいことはない。
なぜなら、見ず知らずの相手に「泡パ」という言葉が通じないと、成立しない構図だからだ。
それくらい、「泡パ」は通じる。
同世代でいくと、「見たことも聞いたこともない」という人の方がレアだろう。
泡パは、一つのイベントでは表現できない、一つのムーブメントなんだと思う。
アフロマンスはそれをつくっているつもりだったけど、実際はムーブメントの波に飲み込まれ、引き上げられたんだと思う。
その波によって、
仲間を失い、お金が無くなり、仕事も辞めることになった。
間違いないと思う。
でも、逆に、
泡パを通じて、たくさんの人に出会った。
色んなコラボレーションが生まれ、たくさんの喜怒哀楽が生まれた。
そして何より、かけがいのない経験をたくさんした。
僕はズルイから、それが全て僕の財産になっている。
だから辞めたって、それは僕の次のステージで活かすつもりだ。
最後に
「成功している人は、たまたまそこにいただけ」
本当にそうだと思う。
努力すれば報われる訳じゃない。運も大事だ。
ただ、一つ、絶対にいいやり方がある。
「とにかく、チャレンジしまくる」ことだ。
“そこにいる”可能性を増やすんだ。
みんな、失敗を恐すぎている。
一回で成功させようとし過ぎている。
だから、冒険できない。
そうじゃなくて、とにかくたくさんチャレンジしよう。
1回目で成功するのか、100回目で実を結ぶのかはわからない。
だから、やるんだよ。
やり続けよう。
少なくとも、僕はやり続けるよ。
世の中に、もっとワクワクを。
最後のレギュラー出演、遊びに来てくれると、ほんとーーーに嬉しいよ!