どうも、パーティークリエイター/DJのアフロマンスです。
今日は表題の通り。
「最近、自分のやったことで泣いてますか?」
という話。
涙活という言葉が流行ったり、最近泣きたい人が多いらしい。
映画を見て泣いたり、
恋の歌を聞いて泣いたり、
それもいいけど、「自分がやっていること」で泣けるというのはまったく別の話だと思う。
僕には、思い出深い一件がある。
それは2013年のバーニングジャパン。
終わった瞬間に、共同主催のアサミくんとミネギシくんの目から、ほろほろと涙がこぼれ、そして、僕も泣いた。
あの時、なんで僕は泣いたんだろう?
それを思い出してみた。
1、未知との戦いだった
あの頃の僕らは何もかもが手探りだった。
バーニングジャパンは火を扱ったり、参加者が様々なアートやパフォーマンスを持ち込む、とてもコントロールが難しいイベント。
今でこそ、色んな分野のプロのチームがいるけど、当時は何が正解がわからないし、具体的なやり方もわからないことだらけだった。
チャレンジとか挑戦なんて、カッコイイものじゃない。
正直、無謀に近い。
無茶だ。
だから、僕らは不安とワクワクでぐちゃぐちゃになっていた。
2、ぶつかる仲間がいた
あの頃の僕らは本当にガチンコだった。
お互い余裕がなかったんだと思うし、今思うと視野が狭かった。
ただ、それぞれの視野目一杯に物事を考えて、考えて、考えて、切磋琢磨した。
フラットに、それぞれの価値観や考え方をぶつけ合う仲間。
立場や経験は、そんな関係をどんどん許してくれなくなる。
そんなに多くなくてもいい。
上下なく、苦楽を共にし、ぶつかる仲間を持つこと。
その時の3人の関係は、そんな感じだったと思う。
3、とにかく感謝した
不思議な、夢のような時間だった。
あの時、最後のDJは僕だったんだけど、正直何をかけたのかまったく覚えてない。
ただただ、楽しかったことだけは覚えている。
僕は、最後の曲をかけ終わり、「ありがとう」みたいなことを言ったんだ。
そしたら、その場にいた参加者が、列をなしてしゃがみこみ、「ありがとう」と全身で伝えてきた(上記写真。子供にとってはなんのことやら…w)
僕も慌てて、ブース前に行ってしゃがみこみ、感謝を伝えたことを覚えている。
一人でできることなんて、いかにちっぽけか。
この夢のような時間を一緒につくってくれている仲間たちに感謝しかなかった。
肩を抱き合って、とにかく「よかったね。」と思った。
三人いれば、当然三人は違う人間なんだ。
僕以上に責任感の強い主催二人の、押し寄せる安堵と、達成感の気持ちが、抱き合った腕から伝わってきた。
「本当によかった。」
「そして、本当にありがとう。」
三人の気持ちは一緒になっていた。
そして、三人で抱き合いながら泣いた。
みんな昔は、「自分がやっていること」にもっとワクワクしていたはずだ。
未知のことがいっぱいあって、上も下もない仲間がいて、たくさんぶつかって、たくさん感謝したはずだ。
いつからか、仕事も、人生も、「こなす」ことを覚えてしまう。
ワクワクすることが目的のエンターテイメントの世界ですら、気づかないうちに「こなす」ようになってしまっていることがある。
それは、今やっていることの規模でも、質でもない。
常に、
未知との戦いを挑む無謀さと、
本気でぶつかりあう仲間と、
関わる全てが有難いと思うこと。
そんな自分の「姿勢」なのかもしれない。
僕は、誰かが作った、人を泣かせるための何かではなく、自分がやった何かで、また泣きたい。
泣き続けたい。
アフロマンス
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